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カルムイキア
(ニキタの一生)
 
四十三

カラバク、レナと10名の騎兵は町外れのキャンプ地まで行き、そこで憲兵の服装と腕章をつけた。 カラバクはさらに口髭と眼鏡をつけた。
レナも眼鏡をつけたが、変装用としてはあまり役に立たなかった。眼鏡をかけてもレナはレナだった。 それよりレナにとっては、カラバクが着せてくれた裾の長い軍用外套が天の助けだった。 スカートは乗馬には向かず、どうしても裾をよほど上までまくり上げねばならなかった。 外套がなければ、同行の騎馬兵の脇見運転による「落馬事件」が多発するところだった。
カラバク隊は刑務所とは逆の方向から町に向かった。町に入る手前でレナはさらに入念に変装した。 顔に泥を塗り、雪のように白い肌を隠し、眉を黒く太く描き、口髭をつけ、胴に厚い布を巻いた。
検問を越えて、町の中心にある政治局の門を叩いた。「マハチカラ(隣国ダゲスタンの首都)から派遣された 憲兵隊だ。至急、政治局長と面会したい」
政治局の衛兵が隊員証と指令書の提示を要求してきた。
カラバクはレナが作ってくれた偽隊員証と指令書を提示し 「不審ならダゲスタンに電信で問い合わせられたい」
「いや、この書類だけで十分です」
政治局は赤軍に暴徒鎮圧の指示は出したものの、次々に入ってくる暴徒の情報、 特に騎兵群の情報には神経を尖らせていた。町のあちこちで暴れまわっている。よほどの大軍のようだ。 もしそうなら真っ先に血祭りに上げられるのが政治局だ。
今はダゲスタンの憲兵隊どころの騒ぎではない。が、憲兵隊の代表が面会したいというなら、 会っておかねば後々に禍根を残すことになる。
「どうぞ、こちらへお入りください」と丁重な対応だった。中に入ると控え室があり、 ここでも銃を持った衛兵が立っていた。
政治局長の女性秘書がやって来て「局長は代表の方二名まででお越し頂きたいと申しております。 恐縮ですが、他の方はこちらで暫くお待ちください」という。
「ならば、二名で」
「了解いたしました。ついでながらお二人には規定上会議室への銃刀類の持ち込みをご遠慮願うことになります」 教養のありそうな美人だった。
カラバクとレナが進み出た。
携帯した拳銃は預り証とひき換えに引取られた。会議室に入る。 スネコフを含め四名の党幹部が席に着いていた。
レナとカラバクは入室すると「どうせすぐに分かることだから」と変装用のメガネや髭を取った。 まさかの二人の出現にスネコフたちは度肝を抜かれた。 が、スネコフはさすが共産党の政治局長だけあって鷹揚に構えた。
「ほう、レナとカラバク君じゃないか。こんなときに、こんな場所にお出ましとは。 ようこそ、我が政治局へ。お話しをお聞きしましょうか。 しかし飛んで火にいる何とかという言葉は御存知ですな」
レナが「同志スネコフ、私はあなたと一対一でお話しをしたいので、 他の方々はカラバクと共に別室にお引取り願えませんか」という。
「それは結構。大歓迎です。美人が恐くて一対一の挨拶を断ったとなれば、 スネコフの男がすたりますからね」
三名の党幹部とカラバクは出て行った。カラバクは三名の党幹部に「前以て言っておくが、 君らがおかしなことをやる気配を示したら、10人の騎兵がここに雪崩れ込むことになっている。 君らは知らないだろうが、これが信号弾というものだ」と煙草の箱を示す。 カラバクは「最後までじっとしておれば、危害は加えない」と、まず制空権を握った。 隣の部屋ではスネコフが得意そうにレナに話しかけていた。「これで顔の泥を拭き取り給え。 せっかくの美人が台無しじゃないか」と、ハンカチを丁寧に水で濡らし、 それをレナに手渡し「やっと私のところに戻ってきてくれたのか、私の可愛い子猫ちゃん。 まあ、すわり給え」とソファを示し、体に触れようとする。
レナは「化粧」を拭き取りながら「その前に、壁に掛かっているレーニンの肖像を取ってちょうだい」
「レーニンに見つめられては気分が出ないのか。俺も本当のところレーニンが嫌いでね」と 肖像画を外しにかかる。
レナは席に着いて、スカートの裾をまくり上げる。
スネコフはレーニンそっちのけでスカートの中を覗こうとする。
「女は複数の男を知ると大胆になるというが、これは大歓迎だ」
「男ってみんな好き者ね。でも、勘違いはしないでね。小型ピストルを隠すのにスカートの中しかなかったのよ。 カラバクにも手伝ってもらったけどね。彼もわざと時間をかけたみたい。 男って本当におかしな動物ね」と太股に縛りつけたピストルを取り出す。
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四十四

「そんなごつごつした物をよく挟んでいたね、敬服するよ」
「あら、カラバクのはもっと凄いのよ。そう言えばあなたのはとっても可愛かったわね」
「畜生、この売女!」と肖像画を投げすて、レナに飛びかかろうとする。
「お願い。同志スネコフ、私にこれを使わせないで。あたったら本当に痛いわよ。 先ず肖像画の裏のあて板を外して。そう、手紙が三通あるでしょう。
これはみんな、あなたが書いたものよ。レーニンの背中って、最高の隠し場所でしょ。 ちょっと、同志スネコフ、破っちゃ駄目!あなたの頭に風穴があくことになるわ。読んでごらんなさい。 私あてのラブレターよ。恥ずかしくて声に出しては読めないでしょう。 描写が露骨ね。不倫するときは手紙など書かない方が賢明よ。 しかもこんな赤裸々な表現はあとあとの事を考えて絶対避けるべきね。 ご丁寧に日付とサインまでついているわ。
これだけでも党の風紀委員会はあなたを除名するはずよ。でも最後のところをよく読んで。 『レーニンはユダヤ人だから、遠からず失脚する。自分のモスクワ入りも遠くない』云々は銃殺ものね。 あなたが書いたのよ」
スネコフは顔を真っ赤にして、「レーニンがユダヤ人だとか、近々失脚する云々は俺が書いたものではない!」と 叫ぶ。
「でも同じ筆跡で書いてあるでしょう。ちょっと、気をつけてよ。本当にぶっ放すわよ。 全く同じ筆跡で書いてある以上、あなたの弁解は通らないと思うわ。それより聞いてよ。 私達はあなたをやつけるんじゃなくて、守ろうとしているのよ。なぜ守るかって。分かるでしょう。 あなたを退治したら、次のスネコフがやってくるわ。それより今のスネコフを大事に使った方が賢いでしょ。 この手紙は私のものだから、もらっておくわ。友好の記念ということね。 この手紙が永遠に役に立たないことを願っているわ。
そこで先ずお願いだけど、兵を引いてちょうだい。私達はあなたを人民の英雄にしてあげる。 私とあなただけの秘密よ」
スネコフはレナに襲いかかって書類をもぎ取ろうと思ったが、「あなたが私に書いてくれた手紙は この三通だけじゃなかったわね。みんな大事にしまっているのよ。だから変な気は起こさないでね」と言われて、 首をうなだれてしまった。
「これから、私はあなたの前に顔は出さないわ。だって不倫が再燃したら大変だものね。 他の人にお使いを頼むことにする。そのときは私のお願いと思って100% 聴いてね。まずは即刻、あなたが出て行って兵の動きを止めること。それから、ちょっとあとでいいけど、 あなたの手で秘密警察をあげていって、牢にぶち込んでね。
みんなであなたを支持するから心配はないわ。 あなたはもともと優しい人だから私の色々なお願いを聴いてくれるわね。 勿論、そのため党中央から睨まれるかもしれない。
でも心配しないで、大切なスネコフ同志をやすやすと窮地に追い込むようなことはしない。 最後の最後、どうしても危なくなったら、あなたをどこへでも逃がしてあげる。 もし美人の奥さんとご一緒が良ければ、それもOKよ。少しだけど餞別も用意するわ」
スネコフはレナの話しを聞きながら、色々思いをめぐらしたが、結局当面はこいつらの言う通りにするしかない。 いずれはこの窮地から脱することを考えよう。そのときはレナを八つ裂きにしてやろうと思った。 ゆっくり時間をかけて。それを思うとくっくっくと笑いたくなった。

この面会が終了した後、駐屯軍の動きにブレーキがかかった。
そして翌日、政治局長スネコフ名で刑務所のバリケードに「会談提案書」が送り届けられた。 パルチザンの代表とスネコフたち共産党幹部が会談した結果、合意書が結ばれた。
「双方が兵を引く。不当に投獄された者は審査のうえ釈放する。 今後、真に人民のための社会主義国家の建設に向けて相互に協力しあう」といった内容だった。
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四十五

刑務所を攻撃したパルチザンの中にあの肉屋ラシドもいた。 野生山羊の肉4頭分と生きた羊1頭を交換してくれた男だ。
ラシドは前回、牢から助け出されたあと、カルムイキア東部のカスピ海港に身を潜めていた。 潜めるだけでなく数隻の小型船を束ね、他国との交易(密輸)を始めていた。 今回、エルダールの呼びかけに応じて、仲間を引き連れて刑務所襲撃に加わった。
彼は、ニキタに伴われて牢から出ようとしているグダイを見ると「おや、グダイじゃないか」と顔を覗き込む。 「やっぱりグダイだ。よく無事だった。わたしも長い間、逃げ回っていたが、これからまた共に頑張ろう。 君を頼りにしているぜ」と握手を求めてきた。が、グダイは「俺は俺流にやる」と素っ気なかった。

エルダール、ラシド、カラバク、レナなどパルチザンは政治局長スネコフを(本人は不承不承であったが) 味方に取り込むと、「人民評議会」なる組織をつくり、共産党と赤軍に逆オルグを開始した。 アクシビリ以下の騎馬隊も全員が評議会に入り活動した。
彼らは何よりもまず、党と軍が備蓄していた食糧を飢餓に苦しむ国民に配給させ、 また、この先の食糧確保のため砂漠に水路を引く灌漑計画を策定させた。
これらの政策は共産党政治局が表に出ていたので、レナが約束した通り、 局長スネコフの人望をいよいよ高める結果となった。スネコフにとって世のため、 人のために働くなど生まれて初めてのことだったが、決して悪い気持ちはしなかった。
灌漑事業が強力に進められる一方で、政治局の決定により道路、基地、港湾建設などの国家事業は一旦停止され、 労役に駆り出されていた人々の多くは帰郷し、元の畑作、遊牧に復帰した。 自家菜園も大いに推奨され、人々は親しみを込めてこれを「帰農」と呼んだ。
グデルメスの娼館の女たちの中で行く当てのない者10数名はボロキン、リマーゼと共に カルムイキアにやって来て、アクシビリの騎馬隊員たちと開墾や畑作に勤しんだ。 男だけのむさくるしい世界に艶やかな女性が入り込むことで砂漠に色鮮やかな花が咲いたようになった。

カラバクは次の作戦を考え始めた。
すでにクレムリンは叛乱を知っているだろう。遠からず、鎮圧が始まるだろう。 こういう状況下では、本来、カルムイキアは防御を固めるべきだが、相手が巨大すぎる。 象と虫けらの勝負だ。まともにぶつかっては話にならない。 一点に留まらず、広い空間で敵を攻めることが最大の防御だ。反抗の芽を拡散させねばならない、と。
彼は騎馬隊全員を一旦グルジアに帰し、正規軍に復帰するよう指示した。 貴重な反抗の萌芽をここで無駄に埋もれさせたくなかった。
彼らに、時を見てソビエトの各地に散らばり、シンパを増やし、 真に弱者のための国家を打ち立てる核となるよう、指示した。
「互いに生き抜いて、自由と平等の国を打ち立てよう。皆が笑って暮らせる国を創ろう」
全員、異議なしと賛同してくれた。「カラバク隊長、場所は離れていても、心は常に隊長と一緒です。 この先も共に頑張りましょう!」皆、朗らかに出発していった。
元娼婦の幾人かもこれに同行して去って行った。

ニキタはカルムイキアに残った元娼婦たちと開墾、畑作に励んだ。 グダイも衰えた体で頑張った。ニキタにとって、夫とともに灌漑水路を造ることは 天地創造そのものだった。
何もない荒れた砂漠が緑の園に変わる。果てしなく続く砂漠を見ていると、 忌まわしい過去も取るに足らぬ事に思えてくる。ここに水を引き、麦やとうもろこしを植える。 目を瞑ると目の前には緑の平原が広がり、風がそよぎ、鳥が舞っていた。
ニキタは口ずさんだ。
「みんなと一緒にヨイショ、ヨイショ、グダイと一緒にヨイコラショ、土をカマスに入れてグダイと運ぶ、 ヨイショ、ヨイショ、体はくたくた、ヨイコラショ、緑の砂漠、我が大地.. 」グダイはニキタの訳の分からない歌を鼻で笑いながら「ニキタも強くなったな」と感じた。
彼らは首都エリスタから数十キロ北方のまだ水のない水路近くのバラックに住んでいる。 周りには同じようなバラックが立ち並び始めていた。
二人だけの小さなバラックでニキタは安心しきってグダイの胸のなかで眠っている。 グダイはバラックの天井を見つめながら思った。「色々あった。これからも色々あるだろう。 今が一番幸せかもしれない。こうしてニキタに逢えたから、俺はもういつ死んでもいい。
ただ、生きているうちに必ずやり遂げたいことがひとつある。 それは、ニキタの体を弄んだ男どもをこの弓で一人ずつ射殺すことだ。 まず山賊の兄弟からだ。奴らは絶対許せない.. 」

バラック街にも春の風が吹き込みはじめた。上流の方では既に水が流されたという。 周辺地方から貧農、浮浪民が水とともにカルムイキアに沁み込んで来た。 彼らにあてる食糧は殆どなかったが、それでもやって来た。砂漠の中で行き倒れる者も少なくなかった。
これが砂漠の鳥獣の餌食となった。
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