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ビーズ
(パミールのはてに)
 
伽耶雅人著
医界からドロップアウトしたビーズは「身の捨て場」を求めて中央アジアの秘境を訪れた。
キルギスタンでは地上から雪の山並を見上げていたが、世界の屋根パミール高原ではいつも山並のなかに自分がいた。

ビーズ (パミールのはてに) 前書き
2010.10.27
パミールとは中央アジア、タジキスタンを主として中国、アフガニスタンにもまたがる「世界の屋根」と呼ばれる大高原のことです。
この「屋根」から仰ぎ見る銀河は目にまばゆいほど。そして、朝靄の渓谷はさながら幻想の世界..
ところで、中央アジア、タジキスタンなどと言ってもピンと来ない人も少なくないでしょう。
タジキスタンはもとソビエト連邦の一共和国でしたが、1991年ソ連崩壊後、大混乱の中で内戦が勃発し、 各国政府の退避勧告の対象地域となりました。
一方、その頃の私はといえば、商社マンとして崩壊後の ソ連域(ロシア、ウクライナ、コーカサス、中央アジア諸国など)での商圏拡大のため各地を巡り歩いており、 タジキスタンの隣国、ウズベキスタンにもしばしば訪れました。
そのウズベキスタンの東端フェルガナ盆地(嘗ての大宛国)はとても印象深い所でした。 昔、ここは走りながら血の汗を流すという名馬「汗血馬」の産地で、 漢の武帝は汗血馬ほしさに十余万の兵を遥々ここまで送り込んだそうです。 当時、汗血馬は騎馬民族「匈奴」に対する最新最強のハイテク兵器だったのです。
話戻って、ウズベキスタンの首都タシケントからフェルガナ盆地への途中に高い峠がありますが(たしか標高2200m)、 山道は未舗装で、雨が降ると通行不能となります。 そういう時は内戦中のタジキスタン領内を通って首都タシケントとフェルガナ盆地の間を往復したものです。
当時、(今もそうですが)タジキスタンは旧ソ連圏15カ国の中でも最貧国と言われるだけあって、 人々の身なりも家屋もみすぼらしいものでした。途中、痩せた羊飼いとよく出あいました。悲しそうな顔をした難民らしき人々の群れにも。
彼らの表情を見ていると何か胸にぐっと来るものがあって、この印象をあとに残しておきたいと思い、 旅行手帳に「ミール」という言葉を書き込んだのがこの小説を書く切っ掛けとなりました。
「ミール」とはロシア語で「平和を」という意味。旅人の私と目をあわせた難民の一人が発した言葉でした..
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ビーズ
ビーズの本名は坂本聡(さとる)といった。山陰の片田舎に生まれた。
彼は子供の頃、左目を怪我で失明してから,義眼を入れている。この地方では片目のことを「メカチャ」と言った。 多分に嘲笑的な響きがあった。
彼は「メカチャ」と呼ばれるのが一番厭だった。それは彼にとっては「妖怪」と言われるのと同じだった。 いじめっこ達が面白がって「メカチャ」と呼ぶ。彼は泣きながら、歯を剥いて咬みついていった。 その効あってか、いじめっこ達も「メカチャ」とは呼ばなくなった。
この地方ではビーダマのことを「ビーズ」と呼ぶ。義眼がその「ビーズ」に似ていることから「ビーズ」とあだ名されるようになった。 彼は「ビーズ」が気に入った。
少なくとも「メカチャ」のような妖怪じみたイメージはなかった。

元医者だった父が町から4〜5キロも離れた所にかなり広い土地を買って、花畑を作っていた。 花畑の中に高床式の小屋を立てて寝泊まりもしていた。ガス、水道、電気もなく、灯りは石油ランプ、水は手漕ぎ式のポンプだった。
よく言えば「唯我独尊」の父はそこでダリア、アネモネ、グラジオラスなど色々な花、それにスイートピー、苺などを栽培したり、 絵を描いたりしていた。画調はゴッホに似ていたので、周囲の人々は「山陰のゴッホ」と呼んだ。花畑の花は父の画材になるだけだった。
花畑の縁に、今ではアスファルト道路の下の暗渠となってしまったが、きれいな小川があった。 ビーズはその小川が大好きで小学校に入った頃からしばしば父の小屋で寝泊まりした。
川幅3メートルほどのほんの小さな川だったが、豊かな清らかな水、 踊るように揺れる川草、川草の茂みを縫って走るフナやハヤなどに心が惹かれた。
フナやハヤはビーズにとっては美しく、気高く、それゆえに追捕の対象だった。
それは少年期の男特有の狩猟本能か、子猫が動くものを追い回し、捕まえようとするのと似ていた。
ビーズはいつも竹笊(ざる)で川縁を攻めたが、つかまるのは年端も行かぬ小魚だけだった。 彼はつかまえた小魚を父が小川から水を引いて作った瓢箪池に入れて飼った。
魚が大きくなるのを待ったが、知らぬうちに失踪していた。 今考えたら、父がこっそり逃がしてしまっていたのだろうが、当時はそれに気がつかず、 懲りず、日課のように大きな竹笊で小川の小魚を追った。 時にはオタマジャクシの親分のような鯰(なまず)が獲れることもあった。

父はビーズの懲りようを医者の目で「自閉症の一種ではないか」と時々心配そうに見ていたが、「他人に迷惑をかけるわけでもないし、 そのうちに気性も変わるだろう。そう言えば、私も凝り性だったな」と自分なりに納得していた。
当時は問題にならなかったが、自閉症の一種にアスペルガーと呼ばれる症候群がある。 この頃のビーズにはアスペルガー的傾向があったと言える。当時の彼は殆んど「自分の世界」の中で生きていた。

市内の実家から父の花畑に行くまでに数個の村落を通らねばならない。
それぞれの村には必ずワルガキがいて、よそ者を敵視していた。
義眼のビーズなら尚更だった。彼は叩かれたり、追われたりするうちに、反抗することをおぼえた。 石ころを投げ、敵意を顕わにし、棒を振り回せば、相手は怯(ひる)む。
いつも石ころをポケットに入れ、硬い木の棒を持って歩くようになった。
学年が上がると剣道部に入った。片目のハンディゆえに(片目は相手との距離が掴みにくい)懸命に頑張った。 ビーズは「捨て身」が勝ちを呼ぶことを知った。
不思議なもので、知らぬ間にワルガキどもに叩かれたり追われたりすることもなくなっていった。 ワルガキはワルガキ特有の嗅覚でビーズから何かを嗅ぎ取ったのかもしれない。

学校は退屈だった。いつも霞んだ気持ちで過ごした。
テストの時はわざと答えを間違えることが多かった。皆から目立つのを怖れた。
「義眼」は彼の心を内に閉じ込めた。人と話すのが非常に苦手だった。特に原裕子は苦手だった。 裕子は頭もよく、美しかった。皆の憧れの的だった。
小学校一年の最初の席が裕子の隣りだったが、そのときは何も思わなかった。
数ヵ月後、クラス内の「席替え」で裕子と離れ離れとなってしまった。 それから一度も隣りの席は来なかったが、ずっと裕子のことを思い続けた。随分ませた男の子だった。
裕子はビーズに優しかった。筆箱のなかを調べて鉛筆を削ってくれたり、書き取りノートを見て、間違いを直してくれたりした。 一番嬉しかったのは彼女がビーズを「聡君」と呼んでくれることだった。

学力テストがあった。普通の算数や国語のテストではなく子供の知能を見るテストだという。 裕子が廊下で「聡君、頑張って」と声をかけてくれたのでビーズは嬉しくなって頑張った。学年でトップを取り、裕子が二番だった。
先生も驚いていた。教室で結果発表の時「時々、こういうことがあるんだよね」という。
「まぐれ」と言わんばかりだった。ビーズは戸惑った。
本来、教師に対し怒るべきだったが、その時はなぜか、やってはいけない事をやってしまったような罪悪感に囚われた。 わけもなく裕子を傷つけてしまったと思い、気が塞いだ。
裕子に出会うとビーズは、もともとの伏せ目を更に下に伏せるようになった。

ある時、先生が「好きな色紙を二枚ずつ選びなさい」というので、 ビーズは花畑に咲いていたスイートピーを想って、薄黄緑と薄紫を取った。
「こんな色を選ぶとは」と先生はビーズの精神状態に何か異常でもあるのでないかと保健医に相談した。 保健医は訳の分からないグロテスクな絵図をビーズに見せて、感想を訊いた。
ビーズは二つの答えを用意して、無難な方を答えた。 それはそれで済んだが、それ以来ビーズは色紙を選ぶときは普通の子供達が選ぶ色にした。青とか、緑とか。

小学校6年の時、学校主催の海水浴があった。
砂浜のある町まで汽車に乗り、そこの小学校の体育館で着替えをして、海に突進する。
ビーズの学校の近くにも泳げる場所はいくらでもあったが、 ここは遠浅の海だから「安全な場所」として学校の海水浴場に選ばれたようだ。
ビーズは海で足を岩にぶつけ、軽い怪我をしたため薬をつけてもらって、体育館で休憩をしていた。 裕子が海から上がってきて、そそくさと着替えを始めた。
腰に巻きつけていたバスタオルが外れ落ちた。何も身に着けていなかった。
ふとビーズが近くにいるのに気づいて、「あらっ」とビーズに微笑みかけた。 彼は見える目を下に伏せた。裕子はあわてて服を着た。 ビーズの胸はいつまでもドキドキしていた。この世で最高のものを見てしまった。
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中学校三年の時、裕子は親の都合で山脈を越えた岡山県の津山に引越して行った。
彼女はビーズにやさしくしてくれた唯一のひとだった。彼は片思いの相手を失った。
ビーズの心は、灰色の世界にひとり取り残された。実際、山陰の小都市の冬は町並みも空もどんよりと暗い灰色だった。

高校入試が終り、休みに入ったので、多少の小遣いを持って自転車で津山に向けて走った。 出だしは良かった。自転車は春風を切って走った。気分は高揚した。だが、最初の平野部を過ぎると、 あとは行けども行けども登り坂で自転車を走らせることは出来なくなった。
殆どが自転車を押して歩くだけの道だった。津山までの1割も行かないうちに陽が暮れてしまい、寝る場所もなく、一晩を震えながら過ごした。
次の日も自転車を押した。夕方になって悪寒と熱が出てきたので、津山行きはそこで頓挫してしまった。 生まれて初めて感じる「青春の挫折」だった。裕子は自分の手の届かぬところに往ってしまった。

桜の開花とともに授業が始まった。彼の高校には県西部のかなり広い地域から生徒が集まっていた。 言葉も、顔も見なれない者が多かった。ビーズに近づいてくる者もいたが、彼らは時と共に遠ざかって行った。
「義眼」の薄気味悪さも原因だったかもしれないが、それよりビーズの陰気で、 もの怖じしたような態度が彼らの気持ちを萎えさせ、遠ざけた。ビーズはいつも一人で行動した。 人との会話は、目を伏せているだけで緊張と疲れを感じた。目を伏せる時は無意識に顔も斜めに向けていた。

彼は時々、暗い寝室で「なぜ、自分という意識を持った者がここにいるのだろう。自分はどこから、この世にやって来たのだろう。 自分が死んだらどこに行くのだろう」と想うようになった。いくら考えても、答えが出ない。 何かの間違いで忽然と生まれ、同じく特別の理由もなく忽然と消えてしまうのか。 ただ、どうしても解せないのは、他でもない自分という意識を持った物がここにいるという事だ。なぜだ。
自分が死ねば、自分にとっては裕子も、家族も、友達も、地球も、宇宙も消滅する。
なぜ宇宙の片隅に自分というものが出来たのだろう。世界中の誰も同じ疑問で頭を悩ませているのだろうか。 呑気な常人の顔を見ていると、そうは思えない。

夏休みが来た。ビーズは毛布と勉強道具を持って、津山まで「青春行脚」をすることにした。 途中は自転車を押すだけの道だが、この季節は野宿も怖くない。
山は蝉の声が騒がしい。あざみの紫が目に染みる。澄んだ空気は心を蘇らせ、沢の水は冷たく、美味しかった。
途中、疲れると大学入試の問題集を開く。どうしても分からないところにはX印をつけて先に進む。英単語帳は丸暗記することにした。 単語帳を片手に英単語をぶつぶつと念仏のように唱えながら、自転車を押した。 空気が清涼なせいか、英単語は意外と淀みなく大脳に吸収されていった。
沢の流れが快い。こんな所にもかなり大きな蟹がいた。恐らく沢蟹というのだろう。 爪に毛が生えている。ビーズは捕まえた蟹を焼いて食おうかと思ったが、 蟹の左手がないことに気付き「お前もカタワか。頑張って、いい相手を探せよ」と、逃がしてやることにした。
昼はあんパンと牛乳で済ませた。
夜は木陰に新聞紙を敷き、その上に毛布をかけて布団にし、問題集を枕にして寝た。
朝早くから喧しいほどの小鳥のさえずりが聞こえ、目が覚めた。あたりは小さな白い花が群生していた。 「春過ぎて、夏来にけらし、白妙の衣ほすてふ天の香具山」
小さな花の群れだったが、「白妙の衣」のように鮮やかにビーズの目と心に染みた。
更に進むと、道は山峡に沿って大蛇のようにうねっており、陽の当たるところは暑かったが、 木陰に入るとランニングシャツだけでは寒かった。
まれに平坦な場所も、下り坂もあった。その時は、ここぞとばかり自転車に乗った。
生き返った心地がした。右手には、日野川がごうごうと音を立てて流れていた。

途中、根雨(ねう)という小さな町に出た。根雨の先には小泉八雲の「怪談」に出てくる黒坂という部落がある。 怪談にはこういう一文がある:

出雲の隣国、伯耆の国に黒坂と云ふ部落がある。
この部落のはづれには一条の瀧があり、この瀧は昔から幽霊が出ると云ひ伝へられてゐる。
明治の初め頃の話である。この黒坂には麻取り場があり、 寒い冬の夜などは下賎の娘や女房達がよく骨休めに炉を囲んで世間話をしてゐた。
そんなある日、一人の女が「今夜、この先の大明神の賽銭箱を取つてきた者には私達の麻をみんなやらうじゃないか」と云ひ出した。
みんな退屈だつたので賛成はしたものの、さすがに恐くて行かうとする者はない。
すると、大工の女房が「それじゃ私が行かう」と云つて、二歳になる男の子を負ぶつて出かけた。
さて、女は無事、町はづれの大明神にたどり着き、賽銭箱を取つて帰らうとした。
ところがその時不意に其の瀧の方から「おい、おかっさん、おかっさん!」と呼びかける声がする。 さすがに豪胆なその女房も恐ろしくなり、急いで賽銭箱を抱へると一目散に逃げ帰つた。
残つた女たちはその女房が無事帰つてきたのでホッとした。 そして一人の老婆が立ち上がり、「子供は泣かなかつたかい、寒いから早く降ろして暖めてあげない」と云ふ。 女は子供を降ろし、火に当ててやらうとして見ると、その子供の躰には首がなかつた。
黒坂の瀧大明神に二歳の子供を連れてきてはならぬと云ふのはそれ以来の事らしい。
《参考文献》小泉八雲著、平川祐弘編『怪談奇談』,講談社学術文庫

根雨の町を南北に走る一本道の町角に食堂があり、ビーズはそこで肉うどんを注文した。 こんな美味いものがあったのかと思うほど美味だった。
食堂から出て、コの字形の道を進んだ。コの字の最後のところに来てから、帽子を食堂に忘れたことに気づいた。 ビーズは逆コの字に道を引き返した。食堂があるべきところまで来た。見覚えある町角はあった。ところが、食堂はなかった。 あたりをあちこち歩きまわったが、あの食堂はどこにも見あたらない。 ビーズは「おかしいな」と呟きながら、いま来た道を引き返してみた。人気のない道路を狐が歩いていた。大きな狐だった。
気味が悪くなって、急いで町から出た。

夕方に山寺を見つけ、石段を登った。境内はきれいに掃き清められ、鮮やかな赤い花が植えられていた。西日が本堂の白壁を明るく照らしていた。
どこからともなく異様な袈裟を着た男が近づいてきた。坊主というよりマントを来た魔人のようだった。ビーズはどきっとした。
これは怪談に出てくる貉(むじな)か、のっぺら坊ではないか。逃げるか、木の棒でも拾って闘うか、ビーズはあたりに目をやった。
袈裟の男は目を吊り上げて「かっかっかっか」と笑いだした。ビーズは体が硬くなって動けなくなった。 世に言う「金縛り」の状態だった。魔人はビーズの顔をまじまじと眺め、「これは面白い顔だわ。わしについて来い」という。
ビーズは急に体の力が抜けて、とぼとぼと袈裟に従った。本堂の傍を通って、墓場の手前の庫裏に導かれた。 このお寺はこの坊さんひとりのようだった。
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