よくある話、ある後期高齢者のつぶやき
(大17:榧野雅文)
私は2001年9月に20年余のモスクワ駐在を終え、帰国しましたが、 その後は何をするでもない退屈な生活をしてきました。 が、ひょんなことから色々な老人(私も老人の一人ですが)とのつきあいが始まりました。 嬉しいのは、そういうつきあいを通して多くの興味深い話を聞く機会に恵まれたことです。 ひとつ、ある老人の話をご紹介しましょう。
「よくある話、ある後期高齢者のつぶやき」
老人は前歯の抜けた口でぽつりぽつりと語り始めた。
・・もう50年も昔の、わしが若かった頃のことだが、 ずっと鬱状態が続いていた。
いつも、何かに追われているような気持ちだった。 身も心も疲れていた。死にたいと思う事がしばしばあった。 仕事や家庭の問題とか色々事情はあったが、面倒だから省く。
ある日、テナントビルの屋上に立ったとき、わしは憑かれたように「ここが良い」と決め、 フェンスの上に登り立った。風が心地よかった。そのまま下にドンと逝くつもりだった。 「最後の見納めに」と、あたりをぐるりと見廻した。ビルの森の向こうには山も見えた。 子供のように朗らかな気持ちになった。下に自動車や歩行者も見えた。まだ少しは理性が残っていたようで、人を事故に巻き込まないよう少しの間、タイミングを計っていた。
その時、「捨てるつもりなら、その命、私にちょうだい」と誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。 わしは暫しの間、わけも分からず呆然としていたが、 我に戻ると目の前に若い女が立っているのに気づいた。「あれっ」と思った。 見覚えがあった。同じビルの喫茶店の娘だった。
と言っても、彼女とはたまにエレベータで顔を会わすと「美人だな」と思うだけの関係で、 軽く会釈するだけの関係だった。勿論、男なら誰もが抱く感情はあったが、、
風采の上がらぬ、妻子持ちのわしには、それこそ禁断の果実、高嶺の花だった。
それが、わしに「命をくれ」と言うではないか。わしにとっては、 今や、もう自殺どころの騒ぎではなくなっていた。 まさかの大仰天だった。大昇天というべきか。
いやいや、誤解されては困るが、彼女は、ただ、目の前で自殺しようとしている者に 「自殺を思いとどまらせよう」の一心でそう叫んだだけだっただろう。
しかし、わしの心には雷が落ちた。「どうせ捨てる命だ。この女に捧げよう」と決めた。 人間とはまったく現金なもので、その瞬間から、鬱は消え、命が燃えた。 わしは、文字通り全てをかなぐり捨てて、人生のボタンを掛けなおした。 一途に愛した。彼女はそれを受け入れてくれた。すべてが良かった。完璧だった。
一緒になって、わしは「なぜこんな俺と」と訊いたことがある。 それには「私もいつも死にたいと思っていた。お互い引きつけあうものがあったのね」と いう答えが戻ってきた。彼女は顔も心も阿修羅のようなこのわしを天使の愛で包んでくれた。 その命が尽きるまで、、
そう、彼女はもういない。わしにはこれから先、ひとりで生きてゆく自信はない。
ならば、昔、彼女と一緒に歩いた道をもう一度歩いてみよう。 途中、緑の景色に埋もれて野垂れ死にするも良かろう。 もう十分生きた。この人生まんざらでもなかった...
汚れて、年輪だらけの顔だったが、老人の頬には涙と笑みが浮かんでいた。
おじいさん、よかったね。