写真作品
*投稿者:片山ふえさん(S.50)、写真:木村祥子さん(S.48) 2005年4月、同窓生の木村祥子さんと二人でペテルブルグにドミトリイ・ドストエフスキイさんを訪ねました。ドミトリイさんは文豪ドストエフスキイの唯一の曾孫ですが、日本とは浅からぬ縁のある方です。昨年来日して東京と天理で講演をなさいましたが、その折にお世話をしたのが今回の旅行のきっかけとなりました。 泊まったホテルが「カラマーゾフの兄弟」、お食事したのが「白痴」というベジタリアン・レストラン、そしてドミトリイさんにペテルブルグのドストエフスキイ博物館をくわしく案内していただき、文豪が晩年を過ごしたスターラヤ・ルッサにも足をのばす、というまさに「ドストエフスキイ・ツアー」となりました。 ドストエフスキイ愛好者の皆さんのために、その時の写真の一部を公開します。 スタラーラヤ・ルッサはノブゴロドの近くにある、ロシアでも最も古い町のひとつで、良質の水と泥治療の保養所としても知られていますが、この小さな田舎町が世界的に有名なのは、なにより、ドストエフスキイが晩年を過ごした別荘があった場所としてでしょう。身体の弱かった子供のために夏場だけここに逗留していたドストエフスキイは、このスターラヤ・ルッサが気に入り、ここに初めて自分の家を買いました。それが現在「ドストエフスキイ記念館」として残っています。あの「カラマーゾフの兄弟」はこの町を舞台にしたと言われ、町のあちこちに、「グルーシェンカの家」(グルーシェンカのモデルとなった女性が実際に住んでいたそうです)とか、カテリーナ・イワーノヴナの家だとか、アリョーシャが歩いた道だのがあります。ドストエフスキイ家の人々が礼拝に通った聖ゲオルギイ教会の礼拝に耳を傾けていると、ふとアリョーシャが通りかかりそうな気がしてきました。(ゾシマ長老の僧院はルッサの町から少し離れた所にあって、今は修復中ということでした。) (掲載日:2005年5月7日) |
*投稿者:山ア 章さん(S.34) 9月下旬から10月初旬にかけて、家内とロシアへ行きました。うち9日間、サンクト・ペテルブルグからモスクワまで運河と湖、ボルガ川を下る船旅をしました。 9月26日夕刻、サンクト・ペテルブルグを出発、途中の世界遺産で木造建築の教会があるキジ島、ゴリツイや古都ヤロスラーブリ、「ボリス・ゴドノフ」ゆかりの地ウグリッチなどに立ち寄り、10月2日にモスクワに到着しました。 船は4000トンクラス、全長130メートル、4階建ての旧ドイツ製でしたが、3年前に改装しており、船室の設備も良かったです。日本垂40数名のほか、ドイツ人、南アフリカから来たハンガリー人ら約160人の観光客が同乗。船内では、ロシア語やロシア史の講座、音楽会、操舵室の見学などいろいろのイベントが用意され、退屈しないように工夫されていました。食事も素晴らしく、本当にいい旅になりました。 ロシアも今年は異常気象とかで「ザラトーエ・オーセニ」とはいきせんでしたが、それでも広大な大地を見たり、数多い水門で水位を調節して船が出入りするのは、とても興味深い光景でした。モスクワとサンクト・ペテルブルグの観光もしましたが、モノは非常に豊かになり、赤い広場の前にあるグムは世界の超一流ブランド店がひしめいていました。反面、観光客の集まるところではスリも多くなるなど、治安も悪くなったようです。私にとっては、すこし高かったが、満足できた旅でした。 (山アさんより) |
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懐かしの外大アルバム
*投稿者:辻平一氏(S.2)御家族より 特別企画としまして、ネフスキイ先生と当時の外大の貴重な写真をお届けします。(管理人) |
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*投稿者:岡本 武氏(S.34) " 外大オリンピック祭り" 高槻時代の体育祭は、各語科をそれぞれの国と見立てて「オリンピック祭」と呼ば れ、盛んなものでした。なかでも呼び物は、仮装パレードで、仮装のまま高槻の市内 を練り歩き、市の名物行事にもなっていました。(岡本先生の回想より) |
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*投稿者: 上八時代の外大の写真、当時のロシア人教官の写真等 |
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