ビーズ
(パミールのはてに)
ビーズは治療室を兼ねた病室に行き、マリアに明日の朝9時頃に退院だと告げた。
マリアはお礼のつもりか、ビーズに気持ち一杯のキスをくれた。
ただ唇と唇を合わすのがキスだと思っていたビーズは、体全体に電気が走ったような衝撃を受けた。 キスがこんなに衝撃的なものとは知らなかった。ドキドキ、ドキドキ、、胸の激しい鼓動が止まらなかった。 生まれて初めてのヘビーキスの相手がロシア人だった。
ビーズは精一杯のロシア語で「とても嬉しいが、あなたは私を愛しているのか」と言った。
「いまは分からない。愛すかもしれない。だって、あなたはとても親切だから」
「マリア、またここに来ることがあれば、寄ってくれ。生まれて初めてのキスで心が破裂した」と言おうと思ったが、 まともな文章が出て来ない。もう自分が何を言っているか分からない。
「ロシア語はむずかしい。私の名前はサカモト、アドレスはS市朝日町...、電話番号は085...だ」 と言いながら、メモを書いた。
マリアはメモを受け取りつつ、今度はそっと優しくキスをしてくれた。
傍にロシア人がいたら、ビーズを見て「こんな目茶目茶なロシア語で、よくも図々しくナンパをしているもんだ」と感心したに違いない。
ふたりのロシア人船員は田中医院の待合室で次の日の朝9時まで待機した。
万一、マリアが日本に亡命するようなことがあれば、それは彼らの人生の破滅を意味した。 それゆえ、彼らは一晩中まんじりともせずマリアを監視した。
社会主義ソ連の崩壊は目前に迫っていたが、誰もそれを想像することは出来なかった。まさか超大国ソ連が崩壊するとは。
マリアが去ってしまってから、ビーズは一ヶ月以上も気の抜けたビールのようだった。
海岸通りをうろついていると、顔見知りの海運会社の大宮がやって来て「ソ連船から預かった」と 白樺で作ったマトリョシカ(ロシアのこけし人形)と手紙を渡してくれた。
「あなたのお陰で私は今も元気で生きています。あなたが助けてくれなければ、私はきっともうこの世にはいなかったでしょう。 ロシアに帰ると陸上勤務の命令が届いていました。もう、あなたに会うことはないでしょう。 あなたの幸せを心から祈っています。この手紙とマトリョシカを信頼できる船乗りに託します。 これを受け取ったことは誰にも言わないでください。 あなたにキスを送ります。マリア」
ビーズは手帳の一頁を破り「ありがとう、マリア。君が無事だと知って嬉しい。 君のもとにこの手紙が届くことを祈る。生きて、いっぱい幸せになってくれ。ビーズ」と書き、 その紙片をマトリョシカの体内にしまい込み、海に戻した。 マトリョシカは波に揺られながら、ビーズに微笑みかけていた。ビーズは人形に手を振った。
それから、間もなくしてソ連崩壊の報が届いたが、ビーズには何の感動も与えなかった。
マリアの顔は思い出せなくなっていた。白い大理石のような下腹部の肌だけが脳裏に残った。
さらに、それから暫くして異変が起こった。釣り好きの「おお先生」が岩場で足を滑らせ、波に浚われてしまった。 漁船に引き上げられた時は、彼の体はかなり魚に突つかれていた。
彼の希望通りの死に方だった。
田中医院は借金だらけだったため、「おお先生」の遺族は土地と建物を手放さざるを得なかった。 ビーズは昔、山寺のお坊さんが言ったことを思い出し、 「おお先生、あんたは一瞬の人生を光らせて、無に戻って行ったんですね」と空を見上げた。
空は重い雲に覆われ、海は鈍色だった。雲の隙間を通った一条の光が海面に射し込んだ。
光の当たった部分だけが黄緑に輝いていた。ビーズはそこに田中医師を見た。
「おお先生、お世話になりました。お礼を言います」
彼は町を歩き、公衆電話を見つけると無意識のうちに0771XXXXという亀岡市夕陽丘の番号を廻していた。 「もしもし」という声を聞いて、はっと受話器を置いた。俺はどうかしている。まだ過去の裕子を追っている。
再就職のための履歴書を持って、あちこちの病院を当たって見たが、 大学教授の推薦状とか大病院の院長の紹介状などがないことを知ると、 「いま空きがありませんので」というそっけない返事が返って来た。 中には「坂本先生の履歴書はこちらで預からせていただきます」と丁重に応対されはしたが、 その後は「梨の礫」というのがしばしばだった。
小さな漁港町の田中医院の医師では履歴書はみすぼらし過ぎたのかもしれない。 いや、それとも、母校の大学教授の恩を仇で返すような「謀反人」に対する懲罰かもしれない。
それでも、それから三ヵ月ほど経ったころ、関西のある病院から声はかかった。
だが、その時ビーズはもう別のことを考えていた。裕子から出来るだけ遠くに離れたい。
日本にいればまた裕子のことを思い、心を引きずる。
それに、日本の医学界はせせこまし過ぎる。俺には合わない。 いや、正直のところ、俺はもう何もかもがいやになって、というか何もかもが面倒くさくなって、 ただ「身の捨て場」が欲しいだけかもしれない。どうせ、そうなら地球の果てがいい。
大学の学生課、県庁、旅行会社などを訪れ、色々と調べたところ、政府が組織した「海外医療派遣団」という組織があることが分った。 しかし待て、これにはおいそれと乗りたくない。お上の偽善には虫唾が走る。という俺はやはり精神的な反逆児なんだろうな。
ある夕方、ビーズはぼんやりとテレビを見ていた。
中央アジアのキルギスタンという秘境が映っていた。画面には雪の帽子をかぶった美しい山並みが映し出されていた。 解説者によれば、キルギスタンは元ソ連の構成国だった。
人口は450万人ほど、面積は20万平方km(東西800km、南北200~300km) の山国。 社会主義ソ連の崩壊後まもなくして、隣国タジキスタンで内戦が起きて5万人ほどの難民がなだれ込んで来た。 食料や医薬品、医師が不足しているということだった。
ビーズは自分には縁遠い世界のように思えて、テレビのスイッチを切ろうとした。
その時、画面に日本人そっくりの住人が出て来た。ただ、髭面とおかしな形をした帽子を被っているところが日本人と違っていた。
カメラマンは部落の娘たちを大写しにした。日本人に似ているが少し肉厚で、彫りが深い。 ちゃんと化粧をすれば日本人よりはるかに美人だと思った。
そう言えば、縄文時代の日本人に似ているかな。 弥生時代に中国系や朝鮮系ののっぺり顔に占領されるまでは、日本人はこのような顔だった筈だと思った。
画面のなかで娘達は一様にはにかみの表情を見せた。はにかみの表情は欧米人にないものだった。 やはり日本人とどこかで繋がっているのだなと思い、スイッチを切るのを忘れて、画面を見続けた。
娘たちの中で一人、はにかみの表情を見せない娘がいた。その娘の目がビーズの心にちらっと引っかかった。 いや、心に突き刺さった。ビーズはもっとよく見ようと体を前に乗り出したが、 テレビ画面は既に雪山を背景とするポプラ並木に変わっていた。
ビーズの胸は熱くなった。
ビーズは賽を投げるように、今まで聞いたこともないキルギスタンに決めた。
キルギススタンは地図を見ても、タジキスタンとかウズベキスタンとか同じような国が雑然と散らばっているので、 えらく込み入った場所だとしか見当がつかなかった。
ただ、地図の上では全体が濃い茶色で描かれているので、山の多い国だと感じた。
その南には世界の屋根と言われるパミール高原が広がっている。
ビーズはテレビ局に電話を入れ「お宅のキルギスタンについての報道番組についてですが」と話を切り出した。 「はい、昨日の放送分ですね。お名前とご用件をお伺いします」
「こちら坂本聡という者です。お宅の報道によれば、現地では医者が不足して困っているとのことでしたね。 私は医者なのでそこで開業したいのですが、どこに話を持って行けば良いのでしょうか」と尋ねた。
テレビ局の電話受付は番組を担当したスタッフを探し、そのスタッフに電話を切り替えてくれた。
番組の担当者は「坂本先生ですか。ご親切、痛み入ります。ただ、あそこでご自分で開業なさるのは難しいと思いますよ。 医薬品や医療機の手配などはやはり国際機関や日本政府のサポートがないと、とても無理だと思いますしね。 JICAとかODA(政府開発援助機構)などにコンタクトされてはいかがでしょうか。連絡先は… 」と説明してくれた。
ビーズは政府のルートなど通さず自分流にやりたかったが、考えて見ればそれをやる資金もチャンネルもなかった。 結局、海外医療協力隊という組織に入ることになった。
健康診断や資格試験らしきものを受け、国内研修や、渡航手続きに3ヶ月近くがかかったが、費用は全て協力隊持ちだった。
キルギスタンを含め旧ソ連圏ではどこでも一応ロシア語が通用するという。 ビーズはこの3ヶ月の間にロシア語の独学を進め、まがりなりにも会話は出来るようになった。
時が来た。出発は成田からモスクワ経由となった。
成田を発つ前に協力隊に英露の医学&薬学辞典の購入を頼んでおいた。 モスクワの飛行場に出迎えの人が来て、分厚い英露辞典2冊を手渡してくれた。 モスクワの飛行場は暗く、それだけでこの先の旅が思いやられた。
飛行場の建物から窓越しに周辺の白樺の森を写真に撮ったところ、 恐ろしい顔をした警官がやって来て、カメラの画像をすべて消去してしまった。
空港での写真撮影は違法行為だという。
シェレメチエボUというモスクワの国際空港から、ローカル専用のドモデドボ空港への移動に車で2時間かかった。 ちょうど成田から羽田への移動のような具合だった。
ただ、ドモデドボは、更に暗く汚れた空港だった。かっぱらいやペテン師の巣窟だという。
協力隊の付き添い通訳から「誰かが目の前で財布を落としても、絶対に触るな」と注意があった。 触ったが最後、「中味が違う。お前が抜き取ったに違いない。お前の財布を見せろ」などと難癖を付けられたうえに 所持金をすべて剥ぎ取られてしまうという。幸いにして今回は誰も目の前で財布を落としてくれなかった。
ビーズが空港ロビー内をぶらついていると、そばに人の良さそうなおじさんが近づいて来て 「あんた、日本から来なすったんかえ。日本はええとこらしいね。桜、カラオケ… 」と話しかけてきた。 ビーズはロシア語の勉強が出来るかなと思い「私は日本人です。職業は… 」と喋り始めたところで、 付き添い通訳が血相を変えて飛んで来て、「ダメ、ダメ、ペテン師ですよ」とビーズをそこから連れ出してしまった。 どう見てもペテン師には見えなかったが、それでこそペテン師なのだろう。
付き添い人1名、派遣医のビーズ、医療以外の海外協力隊員4名、 総勢6名で悪臭のするソ連製ジェット旅客機に揺られてモスクワを離れた。 キルギスの首都ビシケクは想像していたより小規模だが、都市らしい都市だった。 ソ連時代に作られた町並みはそれなりに整然としていた。刺激のなさそうな町ではあるが。
ビーズ以外は農業や鉱業の専門家、貿易のコンサルタントなどだった。
ビーズは首都ビシケクの国立総合病院に配属された。
この国では本来キルギス語が正だが、ロシア語さえ話せば全く不自由はなかった。 特に医学用語はロシア語しか使われていなかった。ビーズのロシア語は多いに役立った。
「総合病院」と言えば聞こえは良いが、(一応、内科、外科、小児科、産科、眼科、皮膚科、 精神科、放射線科などすべて整っていたが)見た目がいかめしいだけで医療レベルはお粗末そのものだった。 それに、ひどい不潔さはすぐに改善する必要があった。
多いのは呼吸器、循環器、消化器、皮膚科の疾病だった。乳幼児の死亡率が高く、平均寿命を低くしていた。
おしなべて日本人より10〜15歳は老けて見える。 ビーズは茶色に日焼けした髭と皺だらけの顔を見て、本来自分のいるべき場所に戻ったような気がした。
外国の援助によりX線、心電図、エコー、CT、MRIなど医療機器は設備されていたが、 まともに使いこなす者はいなかった。機械に強いビーズはここでは「引っ張り凧」だった。
休みは白タクであたりを走り回った。地の果てという感じはしなかった。
4000メートル級の山々が空の上に連なる。澄んだ空気、さらさらと流れる雪解け水が冷たい。 人の動きはのんびりしており、タイムトンネルで昔の日本の田舎に帰ったような錯覚さえおぼえた。 ここはスイスのアルプスよりはるかに美しく、かつ素朴に思えた。
ビーズは写真を撮りまくった。替えの電池とディスクは何個も携行した。
牛馬羊のバザール(市)でぶらぶら歩いていたら「馬はどうか」という。
スタイル抜群で、それほど背の高くない雌馬がいたので値段を尋ねた。 売り手はビーズの義眼をじっと見つめながら2万ソムだという。 ビーズは2万ソムがいくらになるものか見当が付かなかった。反射的に「オーチン・ドーラガ!」と叫んだ。
これは昔、港町の商店街でよくロシア人船員が発した言葉、ロシア人客の常套句だった。
「非常に高い!」という意味だが、ビーズは「こんにちは!」程度のつもりだった。
売り手は後ろの仲間に振り向き、ごちょごちょと相談を始めた。
「1万5千ソム、これ以上は引けない」と睨みつける。気迫の勝負だった。「良し、買った」
値段を訊いただけが、なりゆきとは言え、えらいお荷物を買い込むことになった。
ビーズはお金を払って、馬に乗ろうとしたが、考えて見れば、乗り方を知らなかった。
初めてなので皆の前で落馬したら格好悪いと思い、そのまま曳いて行った。 ビーズは後で1万5千ソムが日本円で3万円ちょっとだと知って、売り手に申し訳なかった。
アパートに帰ると管理人がにこにこ顔で出迎えた。月に1000ソムを出せば馬の面倒を見るという。 ビーズはもう「気迫の勝負」はせぬことにした。1000ソムを払った。
彼は朝晩、この馬に乗り、歩くような速さで郊外を散歩するようになった。
途中、道路脇の屋台でシャシリク(羊肉の串焼き)と生の玉葱を買い食いした。何とも言えないほど美味しく感じた。
屋台の親父が「あんたは日本から来たお医者だろう。いつもここを通るから皆あんたのことはよく知っているよ。 わしのおごりだ、やってくれ」とウオッカを湯飲み茶碗になみなみと注いでくれた。
「有り難う。私はビーズだ。今後ともよろしく。このシャシリクは本当に美味しいよ」
「片目が義眼だね。あんたも戦争に出たんかね」
「いや、子供の頃に遊んでいて怪我しただけだよ。戦争は一度も経験してない」
「それは幸せなことだ。わしら、何度も経験した。人が人を殺すのはもう沢山だね」
ビーズはウオッカを一気に飲み乾した。「おじさん、有り難う。また来るよ」
キルギスには日本人そっくりのキルギス人のほか、タジク人、ロシア人、チェチェン人、 ウイグル人、カザフ人、中国人など雑多な人種が住んでいるという。
ロシア人は分かるが、その他は民族の根拠地が東から西に移るに従って、 少しずつ彫りが深くなるという程度の違いしか分からなかった。
ある金曜日の夕方、ビーズは町の中心地にあるレストランで食事をした。
ここは食事をしながら、有名歌手の歌を聴いたり、民族舞踊を見たりの、従来からのソ連式レストランだった。 今日の出し物は民族舞踊だった。20人ほどの娘が剣舞をしていた。
皆、オリエント美人で、スタイルもよかった。剣と剣がぶつかるとキンキンと高い金属音がした。 一方の女性が剣で相手の足を薙ぎ払うと他方の女性は見事に跳躍した。 地に着く瞬間、剣を振りおろす。銀色の剣が綺麗な円弧を描く。
その中にあの娘がいた。日本にいた時、テレビで出会ったあの娘。はにかみの表情を見せなかった娘が。
剣舞が終わった。ビーズはテーブルから立ち上がり、その娘に近づいて行った。
「私はビシケクの総合病院で医者をしています。私は日本であなたに会いました」
ビーズは「日本のテレビであなたを見た」と言ったつもりだったが、ちょっと不勉強だった。 しかも、そのあと表現力の貧困さゆえに、初対面の女性に日本語ではとても言えないことを、 どういうわけかロシア語では喋ることが出来た。「いつか私と会ってください」
これは以前勉強したロシア語会話の本に書いてあった言い回しで、それが意図せず口を突いて出てしまった。
「何かの間違いでしょう。私は日本など行ったことがありません」
ビーズは説明に窮し、日本語を一旦英語に訳し、その英語をロシア語に直した。
「失礼、私は日本にいる時、あなたをテレビで見たのです」
彼女はビーズの両目をじっと見つめ、「あなたは日本のお医者さんですか。お名前は?」
ビーズは自分の義眼が気になったが、このときは目を伏せず必死で娘の目を見返しながら、 「本名は坂本聡ですが、昔からビーズで通しています。ビーズと呼んでください」
実際はこれほど見事な言い方ではなかったが、とにかく、大体の意味は理解してもらえた。
「ビーズ、あなたの電話番号を教えてください。あとで電話します」
ビーズは手帳に自宅の電話番号を書き入れ、震える手でその頁を破って娘に手渡した。
「私の名はアンナです」という。
ビーズはテーブルに戻っても手が震え、ウオッカを一気飲みした。酔いが廻らなかった。
眠れぬ夜が二日続き、三日目の晩にアンナから電話がかかってきた。
「これから会いませんか」という。アンナが指定した場所は町外れの小さな喫茶バーだった。 ビーズは白タクを拾い、そのバーに乗り着けた。
アンナは隅の席で待っていた。ビーズが席に着くと、コーヒーが運ばれて来た。
ビーズはここに至るまでの自らの蛮勇に我ながら感心した。 実際、どこからこんな勇気が出て来たのか不思議に思った。 しかし、このあとアンナに何を言っていいのか、まったく自信がなかった。アンナはビーズに微笑みかけた。
「こんな時間に御免なさい。最初にあなたに尋ねたい。あなたはなぜ私に声をかけたの」
「君がとても魅力的だったから、というだけでは不十分か。ロシア語で説明するのは難しいけど、 正直に言うと子供の頃から想い続けた人のイメージにテレビに映った君の顔がダブった。 君の映像が私の心に焼き付いて消えなくなってしまった。それで、ここに来ることに決めた。 あまりにも軽薄か」と言いたかった。とにかく、身振り、手振り、破れかぶれのロシア語で、 しかも時々英語を混ぜながら、なんとか説明した。
「いいえ、充分よ。あなたが一時の遊びのつもりでないことが分かったから。 実はね、ダンサー仲間から外国人にはおかしいのが多いから気を付けなさいって言われていたの。 でも、あなたは別の意味でやっぱりおかしな人よね。テレビで見た私が気に入って、 はるばる日本から会いに来るなんて。私はとっても嬉しいけど」
「もう一つある」ビーズは説明に困り、英語で喋りだした。「日本で医者をすることに嫌気がさした。 半分捨て鉢になっていた。どこか世界の果てにでも行きたかった。出来れば、そこで少しでも人のためになる仕事がしたかった。 そんなときキルギスタンで医者が不足して困っているというテレビを見た」
「よく分ったわ。人のための仕事をしたいって本当に嬉しい。 ところで、あなたは私がタジク人だと分かった?ソグドと言っても分からないわね。 とにかく、私はタジク人よ。同じ中央アジアでもキルギスやウズベクなどはトルコ系だけど、 タジクだけは彼らと違ってペルシャ系。私の生まれはタジクでも東部のパミール高原。 言葉もかなり違うのよ。タジクでは内戦が続いて、たくさんの人が死んだり、難民となっている。 あなたには興味ないことかもしれないけど、どうしても聞いてほしい。 私と一緒にタジクに行ってタジク人を助けてほしい。何もお礼はできないけど、あなたが望むなら私をあげる」
ビーズは思い出した。タジキスタンは内戦地域ということで日本政府の海外協力隊派遣の対象から外されている。 それどころか避難勧告さえ出ている。
但し、国連などからの食糧や医薬品の援助は、人道支援という形でなされている。
「アンナ、医薬品などはタジキスタンにも送られているはずだが」
アンナはロシア語と英語をうまく混ぜ合わせて説明した。
「それはみんな政府側に渡されているの。タジクの政府とは名ばかりで、元共産党の利権集団にすぎないわ。 国民は餓えと病に苦しんでいる。タジクと比べればキルギスは天国よ。 タジクでは死ななくてもいい人が、お医者さんがいないために毎日たくさん死んでる。助けてほしい」
「分かった。少し考えさせてくれ。ところでタジキスタンではイスラム原理主義とかいう 狂信者たちの侵略から国を守るためにロシアが軍事援助していると聞いたことがあるが、 君もその一人か、イスラム原理主義者か」
アンナはビーズに何とか分らせようと、ひとつひとつ言葉をさがしながら一生懸命に、 「それはロシア側の言い分よ。長い間、社会主義ソ連でマルクスの唯物論を叩き込まれた私達が、 すぐにイスラム原理主義者などになれると思うの。日本でも仏教があるでしょう。 イスラムもそれと同じよ。行き場のない人たちが救いを求めてアラーに祈っている。 『神さま、助けてください』と祈っている。イスラムが出たついでに、ちょっと話が長くなりそうだけど、 私の話を聞いてね」と言って、ビーズに分るようにタジキスタンの状況を噛み砕いて説明してくれた。 その内容を箇条書きにすると:(以後、タジクと略す)
- パミールなど高原が国の90%を占めるタジクは旧ソ連構成15ヶ国の中で最貧国だが、 1991年ソビエト崩壊後も旧共産党系の政権(体制派)がそのまま支配を続けている。
- 政治・経済の大混乱の中で多くの人々は職を失い、生活の基盤を失った。 人々の不満の矛先は旧共産党の現政権に向けられた。 旧態を打破して民主・独立国家をつくろうという運動が起こった。 アンナも父親もこれに合流し、戦い、死んだ。
- 一方、ソ連時代、政治・経済においてエリート的な地位を占めていた諸州(具体的にはレニナバード州、
ヒッサル州、クロブ州の3州勢)は当然の流れとして現政権側についた。
それに対し、貧しい後進州は反体制側に走った。日本でも幕末に藩単位で佐幕派と勤皇派に分かれて戦ったが、 これと同じように州単位で体制派と反体制派に分かれた。 - 体制派(旧共産党政権+エリート州)と反体制派(民主派+民族派+イスラム勢の三派連合・UTO)の対立は内戦に発展した。
- 三派連合内のイスラム勢はしばしばイスラム原理主義者(武装イスラム)と混同されるが、 実態は伝統的イスラム(旧来の回教徒)である。多くは後進地域の貧しい人々だ。
- ただし、彼らはイスラムであるがゆえに、侵略的なイスラム原理主義者の好餌となりうる。 パキスタン、アフガンの原理主義者は武器、食糧援助を通じて(タジクを足場に)旧ソ連領中央アジアへの浸透を図ろうとしている。 彼らはアメリカ製の高性能・小型兵器を備えており、ロシアはこれに神経を尖らせている。
- ロシアはイスラム原理主義者の浸透阻止のため、ロシアとその周辺国で地域的な平和維持軍(PKF)を組織し、
そのPKFの一員として(現状維持という共通課題で)タジク体制派の軍事支援に乗り出した。
結果、タジク体制派、反体制三派連合・UTO、ロシア軍、武装イスラムの間で大混戦が起こっている。