top  1-3  4-6   7-9 10-12 13-15  16-18 19-21  22-24 25-27 28-30  31-33 34-35

チェチェン挽歌
 
挽歌とは - むかし中国で埋葬の時、柩車を曳く者がうたった歌、死者を悼む詩歌。
 
民族独立を求めるチェチェンとそれを武力で押さえ込もうとする大国ロシア。
戦争に巻き込まれた日本人商社マンは...
 
2000年4月の朝、ロシアの首都モスクワの中心地に聳える国際貿易センタービルの22階、我がオフィスのファックスマシンに客先からのクレームが入って来た。
ファックスの発信地はチェチェンに隣接するロシア南部の共和国ダゲスタンの首都マハチカラとなっている。それはカスピ海西岸の都市で、バクー油田から北へ500kmのところにある。
この町の近くに幅1.5kmの大河があり、そこでロシアのマンモス石油会社"ペトロス"がパイプライン用の川底トンネルを掘っている。(Under River Drilling) クレームはその掘削現場からのもので、そこには「貴社を通じて購入したドリルパイプが作業中に破断した。切れたドリルパイプは河底に残ったまま引き上げる事が出来ない。至急、事故対策と損害補償に応じられたい」と記載されている。
ドリルパイプとは岩盤を穿つ先端部(ビット)を回転させながら地中に嵌り込んで行く鋼管のことをいう。石油を採るためにはドリルパイプで井戸を掘った後、井戸の壁が崩れないよう保護するためのケーシングというパイプを埋め、更にその中に石油を採取するためのチュービングというパイプを入れる。
油層が枯れて自噴能力を失うとチュービングの先にポンプを取り付けて石油を吸い上げる。近年は世界中で条件の良い油井はほとんど開発しつくされ、5000‐6000メートル級の深い油層や幅の狭い油層 (この場合、静脈注射をうつ時のようにドリルパイプを斜めに傾けて油層に射し込む。このような掘り方を傾斜掘りまたは水平掘りと呼ぶ) が多くなってきている。ドリルパイプも深井戸や傾斜井戸に対応した高強度のものが要求されるようになっている。
今回は川底トンネルだからそれほど深度はない。川底の土質が問題と思える。我が社があつかっているドリルパイプは日仏連合メーカーの製品である。これはその品質と価格においてドイツ、アメリカの競争相手を圧倒している。
ただ、掘る相手が地球であること、つまり不確定要素が非常に多いということから事故は時として起こる。 事故の多くはドリルパイプが土中に噛みついてしまい、これを何とかかわそうとしてトーションという 捻りの負荷をかけ過ぎた時に発生する。
対象地層に関する知識、ドリリング(掘削)の技術、掘削環境に適したドリルパイプを正しく選ぶことが 事故防止のための重要な要素である。要は相手をよく知ること、十分な強度と環境特性を持つ ドリルパイプを選ぶことだ。事故が起こった場合、我が社としてはあくまで 「国際規格に合致した商品を納めており、パイプが破断を起こしたとすれば使い方に問題がある」 という立場を通す。
損害補償などに応じる考えはない。つまり、国際訴訟をも辞さないという立場を貫く。 それほど製品に自信を持っている。が、それはそれとして先ず現地に飛び状況を把握せねばならない。 破断時の作業状況を調べ、先方の言い分をよく聴き、破損切片を日本に送るための手配をせねばならない。
かくして我が納入した商品に性能上の欠陥がなかった事を証明するわけだ。
ただ、問題はモスクワで契約したドリルパイプが、「チェチェン紛争の巻き添え及び外人誘拐の危険が大きい」という理由で外務省の渡航禁止地域に指定されているダゲスタン共和国で使われていたという事だ。実際問題、我がパイプがダゲスタンで使われていたとはクレームレターを受け取って始めて知らされたことだった。
ページの先頭へ戻る

我が社も超過激なリストラの結果、モスクワでは小生以外ほかに誰もドリルパイプ問題に対応できる者は いなくなったので、あえなく渡航禁止の網をかい潜ってマハチカラに飛ぶことにした。 ロシアの政府当局からはすんなり許可が出た。
我が女房(現在日本に帰っている)が紛争地帯に出張すると聞いたら、間違いなく卒倒するので、 「ウクライナに出張する」と誤魔化してモスクワをあとにした。
技術資料に目を通しているうちに飛行機はマハチカラに着いた。
現地ではものものしい護衛つき。クレーム問題ゆえ、決してなごやかな雰囲気ではない。 汚れた4WDに乗せられ、埃と揺れにまみれて掘削現場に向かう。 舗装はされているが穴ぼこだらけの道路、貧相な家並みが続き、検問を数度越える。
町並みを出るととうもろこし畑、小川、羊の群れ、そして荒地がだらだらと続く。 農夫らしい粗末な服装の男達がぽつんぽつんと道路脇や田畑の中に立っている。 どれも痩せて、汚れて、険しい顔をしている。
畑や荒地がしだいに林に変わり、更に進むと山勝ちな地形に変わる。舗装道路がとぎれて水溜り道となる。 人体は道路の歪みに合わせて踊りくねる。クレームといういやな雰囲気さえなければ山々は絶景で、 木漏れ日は神々しくさえあった。
山道に入って1時間ほど、小部落が見えたところで車の前部がビシッビシッという音をたてた。 その数秒後に遠くでタターン、タターンという銃声が鳴り響いた。
同乗のマハチカラの掘削局長が「チェチェンのテロリストだ!伏せろっ」と叫ぶ。護衛の軍用トラックからから10人余りの若い兵士がどやどやっと降りたって、闇雲に鉄砲を撃ちまくる。連携も統制もあったものではない。みんな一か所にかたまって四方八方に撃ちまくっている。殆んどの兵士がにきび面のかわいい顔をした青少年のようだった。
幸いにも向こうからの応射がなかったので「撃ち方、止め」の合図が出た。随分長く感じたが実際は10分も経っていなかった。
小生、1993年のモスクワホワイトハウス(ロシア国会ビル)の銃砲撃戦にも立ち会っているので、 それほどの恐怖は感じなかった。 というより、襲撃されたという実感が湧かずロシア兵の動きをぼんやり眺めていた。
護衛のロシア兵たちは、モスクワ・ホワイトハウス事件の時と同じで訓練度が低く、恐怖に駆られてただ闇雲に撃ちまくっている。ガガガッ、ガガガッとブリキ缶を金づちで思い切り乱打したような機銃音。近くの農家は、理由なき猛射を受けた。これでまた新たな悲劇と憎しみを生む。だが、加害者には加害者意識がまるでない。
1993年、モスクワの銃砲撃戦 -10月上旬、モスクワは意外に陽気な天気だった。 ロシアのホワイトハウス(国会議事堂)にたてこもる反政府=議会派。
ページの先頭へ戻る

反政府側 - エリツイン大統領に解任された元副大統領のルツコイ、国会議長のハズブラトフなどエリツインの強引な改革路線に反抗する守旧派。
これに極左、極右が合体し、エリツインの政府に対する不満を持つチャンポン連合がホワイトハウス(国会ビル)を武装占拠した。アフガンの英雄ルツコイは国会ビルから無線電話を使って軍部中央やモスクワ近隣の諸連隊に反政府武力蜂起に応ずるよう繰り返し呼びかけた。しかし時勢味方せず、軍部はしばし躊躇の後、最終的にエリツイン側についた。
ホワイトハウスに対する戦車砲撃さえ敢行した。反政府側は500名近い死人を出して投降。茶番で始まった闘争が悲劇に終わった。
これを契機にエリツイン政権はあけっぴろげな民主性を捨て、防諜、公安、軍部の強化に努め、政権維持に走った。
それに伴い政治の腐敗速度が早まり、改革への一般大衆の支持と情熱は失われて行った。話しがすこし横道に逸れた。もとに戻そう。
マハチカラの掘削局長さん「こんなこと(チェチェンゲリラの襲撃)は最近絶えてなかった。言うまでもなく、安全を確認のうえ貴方を受け入れた」と筋の通らない言い訳をしつつ、一方ここで小生に怪我でもされたら数百万ドルの補償問題の風向きがおかしくなってくると思ったのだろう、軍用無線でしきりにマハチカラの本部と連絡を取りあっている。マハチカラ経由でモスクワとも交信しているのだろう。
暫し後、上部組織と話しがついたのか、こちらに戻ってきて、「残念ながら今回の護衛は不充分だったと認めざるを得ない。従って現地入りは暫し延期したい。次回は重装備の護衛をつけて実施したい」という。
また埃と揺れに悩まされながらマハチカラへ後戻り。蚊と蝿が乱舞する汚らしいホテルで一泊。蚊や蝿には我慢出来るが、ダニには堪えられない。
ここで出張常備のバルサンジェットを焚きたいがこれをやると、すわっ「テロリストの出現!」と間違えられて大騒ぎとなる。下手をすれば留置所にぶち込まれる。フマキラーのスプレーで我慢する。因みに小生、むかしはマダムキラーの異名をとったものだった。
翌朝、飛行場では何度もチェックを受けた。そのつど長い行列で並ぶ。まるで囚人あつかい。チェックする方も、される方も、みな目が血走り、殺気立っている。
やっと乗り込んだ飛行機はボロボロ。トイレ地区は悪臭。カチカチの黒パン、ダシガラ茶、痩せてひからびた鶏のボイル、これに岩塩をばらまいて食う。
それでも飛行機に乗れた喜びをひたひたと味わう。
隣に座ったおばあさんすごく汚く、すさまじい臭い。小生、深呼吸して悪臭に鼻を慣らす。このばあさんは身寄りを頼ってモスクワに移住するという。
破れそうなビニール袋に衣類とか食べ物らしきものを入れている。不運な魔法使いがその古巣からあぶり出された如くだった。ともあれ、無事モスクワに到着した。
ばあさんは飛行場出口まで出ると、背筋をのばしてあたりを睥睨している。見たこともない鵜滑稽を連想した。小生、やっと悪臭から開放されたためか空腹を感じる。
携帯電話で、既に近くまで来ている出迎えの運転手に「昼飯を一緒に食わないか」と誘ったが、「既に食べましたので」と遠慮する。
ページの先頭へ戻る

チェチェン挽歌・トップページに戻る続きのページ