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チェチェン挽歌
運転手を駐車場に待機させて、空港内のレストランでひとり昼食をとった。 食後、運転手に空港出口に車をまわすよう指示し、小生、出口に向かう。
あれっ、ばあさん動いていない。30分以上もあのままじっと。あたかも置き忘れられた枯れ木の如く。 彼女は我が顔を見るなり部下の兵に対するような顔つきで「地下鉄の入り口はどこか。 バスは高くて乗れない」という。ばあさんボケちゃいけないよ。
ここ半径20kmに地下鉄などない。小生、運転手の反対を押し切ってばあさんを同乗させた。 運転手に命じてばあさんの「身より」の住所に廻ったが、それは大学の寮だった。
その学生は去年の6月、大学卒業とともに郷里のグロズヌイ(チェチェンの首都)に帰って行ってしまったという。 ばあさん「そんなはずはない。まだまだほんの子供のはずだ」と完全にボケている。 もしばあさんのいう通り、まだほんの子供なら「頼っていく」ということ自体おかしくないか。
ただ、困ったことに、ばあさんには他に身寄りが全くないという。
今更このばあさんを戦争でペシャンコになったグロズヌイに帰すわけにはいかない。 だいいちグロズヌイに帰ってもその身寄りという人が見つかるとは思えない。
ロシアの第二次チェチェン侵攻が去年(1999年)の8月か9月だったから、去年6月と言えば、 ロシア軍のチェチェン侵攻直前。その人はとっくの昔にグロズヌイからどこかに避難してしまっているだろう。
小生、やばいなと思いながらも一時我が家に寝泊りさせることにした。 ちょうど女房も日本に帰っていることだし、むかし子供が使っていた二段ベッドもあることだし、 何とかなるだろう。でも、おかしなことに、ばあさんはグロズヌイに帰ったという身寄りのことを気にする気配が全然ない。 小生を自分の息子とでも勘違いしているのではないか。
小生、冷蔵庫に食糧を詰め込んでおいて、あとは好きにやってくれと言い置いて出勤。 暫く同じような日々が流れた。
他のスタッフから「アンさん、最近おかしいね。6時きっかりには退社するし、 ドサ廻り(出張のこと)にも出ない。仕事をしていてもニヤニヤしている。 またいい娘でも出来たの」と茶化される。
小生「モスクワにいい娘などいないよ。それにまたはないだろう。または」と抗議するが、 かなり迫力に欠ける。魔法使いのばあさんと今や、既に2週間も同居を続けている。
ばあさんの話はコーカサス訛りのせいか半分ぐらい訳が分からないが、面白い。
ばあさんの良人だった男は侵略者ロシア軍と闘い、誉れある12人の盗賊のひとりとして絞首刑で死んだとか。 息子も羊12頭と交換に嫁を略奪してきたとか。孫娘はペルシャの姫のように美しいとか。
まだ5-6歳だった孫娘を連れて並木道を散歩した時の話をしてくれた。 「陽気なアイスクリーム売りが孫娘に『お嬢ちゃん、とても可愛いね。 きっとお母さんと同じぐらい美人になるよ。いい子だ。お母さんの二倍幸せになるんだよ』と言ってくれた」と、 ばあさんは灰色の髪を撫で上げた。
始めは意味が分からなかったが、ばあさんの言いたかったことは「孫娘の母親に見間違えられた。 アイスクリーム売りに美人だと誉められた」ということだった。
小生、孫娘がこのばあさんと同じぐらいの美人だと言われても想像がつかなかった。
恐らく魔法使いのような鈎鼻をしているのだろう。
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この時期、ロシアではチェチェン人は残虐と卑劣の代名詞のように語られ、 ニュース番組は彼らが見せしめのため(身内の者が身代金を渋った)被誘拐者の首を鉈で切り落とす場面を 事あるごとに映し出している。身の毛もよだつほどの映像だ。誰だってチェチェン人は許しがたいほど野蛮な山賊だと感じる。 しかし、ばあさんの話しを聞いているうちにそのイメージがかなり変わってきた。
コーカサスの山岳に住む朴訥な民族だ。潔さを重視し、侮辱は命を賭けても許さず、 親の復讐は子孫5代(場合によっては7代)まで引き継ぐという。どこか日本の昔の士族を思わせるものがある。
ところで、コーカサスとは西を黒海、東をカスピ海に挟まれた地橋部分をいう。 その南にはイランやトルコ、北にはロシアという大国が睨みをきかせている。
 
これに挟まれる形で、コーカサス山脈の南側はグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの南コーカサス諸国、 そして山脈の北側にはダゲスタン、チェチェン、イングシ、北オセチア、チェルカスなどのロシア領の北コーカサス諸国が 犇(ひしめ)きあっている。
チェチェンについて言えば、これはアラブ、トルコなど大きな広がりを持つ民族の一部と思われ勝ちだが、 実は古くからの(山岳地ゆえに相互の交流が物理的に困難で、民族間の混合があまり生じない)コーカサス固有の民族である。
因みにコーカサスやバルカン半島でいつまでも紛争が絶えないのは両者とも山岳地であるということが原因の一つのようだ。 谷間ひとつが一国一城で、夫々の利害がぶつかり合って諍いが絶えない。 同時に強国の成立が困難な環境で、小国乱立状態がそのまま維持される。
日本で言えば戦国時代前期の信州がそれに似ている。当時の信州は小国分立のため信玄や謙信の好餌となった。 コーカサスも大国の好餌となった。
19世紀中葉、ロシアとイギリスは「グレートゲーム」と呼ばれるアジア各地域の奪い合いに全精力を注ぎこんだ。 中央アジアやコーカサスはロシア帝国の南下膨張政策の波に呑み込まれた。 ばあさんの話しでは、チェチェンはもともと農業や牧畜を主体とした平和な土地だった。 山地の空気は涼しく、水清く、誰も彼も長生きだった。
自分の曾爺さんがまだ子供だった頃にロシア軍がこの地に入り込んで来た。 綺麗な制服を着た美男子のロシア兵は最初のうちは物珍しがられ、子供達がなついた。
ところが、いきなり「軍の糧食調達」と言って穀物、家畜を略奪していった。 「拠点の構築」などと言ってロシア風の建物や橋などの工事に男たちを駆りたてた。
それまでのコーカサスの小部族どうしの物や人の奪い合い、闘いなどとは様相を異にした。
ロシアは近代軍の圧倒的な力を背景にして後進地域を支配し、ロシア化を強要し、南下膨張を続けていった。 当時のロシアは牙を剥いた熊だった。 一方、自らを狼の子孫と自負するチェチェンにとってはロシアによる力の支配は堪え難い屈辱であった。
チェチェンの男は羊で生き延びるより狼で死ぬを潔しとする。
ロシアに対する敵意と憎悪が煮えたぎった時、婦女暴行事件が、起こるべくして起こった。 許婚者を犯された若者は犯人に「男の決闘」を挑みロシア軍の砦に向かって馬を疾駆させた。 顔は憤怒に歪み、目は血に燃えていた。砦の兵は恐れた。 無数の弾丸が若者の胸を同時に射抜いた。赤い血が地を染めた。
チェチェンは暴発した。槍と刀で武装した騎馬集団がロシア兵を襲った。
当時、既にチェチェンにも銃はあったし、実際に使ってもいた。 唯、旧式で性能が悪く、数も少なかった。主流は騎馬刀槍であった。
 
特に刀は家の守護神のように崇められ、人が集まると「我が家の刀」にまつわる自慢話に花が咲いた。 ばあさんの家にも名刀が伝わり、その故事来歴は子々孫々に語り継がれた。 いつ、どこで、どういう敵を、いかに倒したか。
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すっかり我が家に居ついてしまったばあさんは刀にまつわる色々な話をしてくれた。
中でも印象深かったのは「花嫁の刀」という話だ。
結婚前の娘には嫁入り道具として少し小さめの刀が与えられる。 ばあさんが生まれた地方では結婚の日、新婦となる娘は刀をもって舞う。 その間、新郎となる若者は村の長老達の杯を受ける。
若者はかなり酔いが廻ったところで娘の舞いに割り入る。 周りの者は指笛や小太鼓、手拍子で囃し立てる。
二人の踊りが絶頂に近づいたとき娘は若者にふいに斬り掛かる。若者は素手で娘を取り押さえる。 娘が手から刀を落として、始めて若者は夫として認められ、娘の父親の祝杯を受ける。 それまではただの酒杯でしかない。
昔の日、ばあさんも当時若かったじいさんに思い切り斬りつけた。
そうしなければならないものと思ってその通りに、死ねとばかり斬りつけてしまったが、 刀を振り下ろしつつ後悔した。私はなんて間抜けなことをしてしまったのだろう。
ところが、じいさんは目にも止まらぬ速さで、当時、はち切れんばかりの娘だったばあさんの両腕をしっかり握っていた。 娘の胸は早鐘を打った。熱い嬉し涙が頬を伝った。あの幸せの瞬間はいつまでも忘れない。
話を150年前のロシア軍との戦いに戻そう。チェチェンは正面攻撃を潔しとした。
ひとつの峡谷の村を一単位として30〜50騎が一群を成す。伝令や狼煙で連絡を取りつつ突撃する。 これがシャリーの兵舎を襲い、グデルメスの町を焼いた。
それに対しロシア軍は大兵団を投入した。
斥候隊が動き、チェチェン兵の集結拠点に関する情報を集めた。 司令官は攻撃目標を定め、対象拠点の前方に数十の大砲を据え、その前後左右を歩兵で固めさせた。
早朝、一斉砲撃が始まる。遠くでそれを聞くと、ごろごろと大きな雷のように鳴り響く。 目標地点が完全に平らになるまで雷鳴は続き、これが止むと、動くものを求めてコザック騎兵が急襲する。 動きは鮮やか、サーベルで斬りつけ、槍で突く。
虐殺が終わると暫しの休息。その後、同じ作戦が次の攻撃目標に向けられる。
このような大兵との戦いに慣れていないチェチェンの騎兵は逃げるを恥じて、 正面から激突し、弾かれ、潰された。軍の態を成さなくなった。
捕虜は絞首刑となった。絞首台にぶらさがる親兄弟を見てチェチェンの敵意は暗く燃えあがった。 その結果は剽悍な騎兵を陰にこもったゲリラに変えていった。
夕闇の中で蛮刀がきらめく。ロシア兵の死体の胸にはX字が切られ、生首は兵舎の前に転がった。
業を煮やした帝国は鬼将エルモロフをチェチェンに派した。 エルモロフはチェチェンのテロリストがロシア兵一人を殺したら一村を殺戮すると宣言し、かつ確実に実行した。 ロシアの大砲が村の出口を固め、コザックが襲う、民を撃ち、村を焼く。
女子供の容赦もなかった。喚声と悲鳴、村は屠殺場と化した。家畜は主人達の死を無感動に眺めていた。 煮えたぎる敵意を抑え、村の長老達はエルモロフに講和を求めた。 懲罰的に税が吊り上げられ、労役も増やされ、新たに兵役も課せられた。
ロシアの南下策の轍にのせられた。
暫し後、チェチェンの狼性を見抜いたエルモロフは税の軽減と引き換えに (ロシア正規兵としてではなく) 彼らを一揆弾圧のための殺人集団として、 また、さらに遠方の蛮族との戦争の捨石として使うことを試みた。これは正解だった。
チェチェンはロシア軍の下でよく闘った。 ばあさんの曾爺さんも、爺さんも疾駆する馬上でよく銃を撃ち、刀槍を振った。 遠方の蛮族は重装備のロシア正規兵よりチェチェン兵を怖れた。
鷹匠に飼われても鷹は決して本能を失わない。 チェチェン兵は行く手の蛮族を旧式の銃と刀槍で容赦なく襲った。 殺戮に血がたぎった。闘いの本能と欲求は彼らの遺伝的形質となってしまった。
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