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カルムイキア
(ニキタの一生)
 
三十四

カラバク夫婦は庭で飼っている鶏一羽を絞めてアクシビリを歓待した。
アクシビリはカラバクが連隊から去ったあとも、騎馬隊勤務を続けた。
彼は、カラバクが隊長だった頃が最も充実していたという。当時はみんなが使命感に燃えていた。 貧しく虐げられた人々を解放するという使命感があった。
ところが共産党が政権を握ってから状況は変わってきた。共産党は党の政策に批判的な党員、 命令に従わぬ人々に牙を剥くようになった。アクシビリの騎馬隊も弾圧の道具となった。
帝政ロシアのコサック騎馬隊と同じことをやるようになった。
党は、旱魃や冷害に苦しむ農民から情け容赦なく食糧を徴発し、彼らが抗議に立てば、 人民の名において血祭りにあげた。アクシビリの隊はグルジアに派遣され、反革命政権との戦闘に投入された。 戦闘というより屠殺だった。
処刑される反革命分子は決して極悪非道の輩ではない。多くはグルジアの自由と独立を夢見た人々、 先祖からの土地を守ろうとした人々、飢饉に喘ぎ、立ち上がった人々だった。
「自分は、あわれな人民を銃剣で突き殺すことにもう耐えられなくなってきた」という。
彼の話では、数日前グルジアの首都トビリシ(旧名チフリス)で騒ぎがあった。
千人を超す「食べ物をよこせ」のデモ隊に対し600名から成る歩兵隊が動いた。
まず銃を構えた歩兵隊がデモ隊を市の中心部から国道沿いに山手の方向へ押し出す。
50騎のアクシビリの騎馬隊が暴徒の背後に廻り、彼らの退路を遮断して、歩兵隊と挟み打ちにする。 主に歩兵主力で暴徒を押さえ込むという作戦だった。
アクシビリは騎馬隊の隊長だった。50騎は少数とはいえ、精鋭の騎馬隊だ。 彼らにとって暴徒など藁人形に過ぎない。大抵の場合、暴徒の群れは騎馬隊を目にしただけで恐怖に駆られて 四散する。
急に降り出した雨の下で彼の隊は暴徒の群れが歩兵部隊から押されて来るのを待っていた。 南国とは言えこの時期の雨は冷たかった。濡れた双眼鏡に暴徒の姿が映った。その中に見知った顔があった。
アクシビリは手をあげ、騎馬隊に「一旦、暴徒をやり過ごせ」と命令した。
部下の一人、いかつい顔のムシハゼが騎馬のまま抗議に来た。彼は馬をうまくさばきながら 「やり過ごす理由は何ですか。党の指令ですか」と食って掛った。
アクシビリは彼に双眼鏡を渡し「あのプラカードの男の顔をよく見ろ」と暴徒の一人を指差した。 ムシハゼは険しい顔でアクシビリの手から双眼鏡をもぎ取り、暴徒の群れを見た。 そして沈黙した。双眼鏡に映ったのはムシハゼの弟だった。
騎馬隊は突撃のタイミングを遅らせて、歩兵部隊の中ほどに踊り出た。 そのため騎馬隊と歩兵隊の間に混乱が生じた。お互いに「こら、行く手の邪魔をするな。 お前らは引っ込んでいろ」と罵り合った。
そのお蔭で暴徒の大半は遁走してしまった。
勇敢な騎馬兵達は強い敵には闘志を燃やすが、あわれな貧民を蹴散らし、 斬り殺すことに耐えられなくなっていた。
アクシビリは軍の幹部会に呼び出されたが「我が騎馬隊は脇道から10月革命街道を目掛けて突進しようとした。 しかし折からの雨のせいで、馬が泥濘に脚を取られ、発進に困難が生じた。 一方、歩兵隊の前進が速すぎたため、彼らに騎馬隊の行動を阻害される結果となった」と釈明した。
このような戦術上の混乱とか不統一はよくあることだったので、それ以上の追及はなかった。 特に猛者ぞろいの騎馬隊には軍幹部も口出しは控えた。

アクシビリがカラバクを見かけたのは、ちょうど休暇で首都トビリシの本営から バトミ近郊の実家に向かっているところだった。
彼はカラバクと話しをするのが楽しくて、その後何度も顔を出すようになった。
ある夕方、実家で取れたという葡萄を持ってきてくれた。
レナが入れたお茶を飲みながら、アクシビリは疲れた顔で「カラバク隊長が『労働者と農民の国を創るのだ』と 我々に話してくれたのが、随分と昔のように思える。なぜこんなに変わってしまったのでしょう。 あれほど皆が待ち侘びたのに、ついにやって来たのは恐怖政治と飢餓だった」という。
カラバクはアクシビリの話しを聞いていて、彼には自分の本心を話せると思った。
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三十五

カラバクはアクシビリに故郷カルムイキアに帰ってからの経緯を話した。
投獄され、脱獄したことも話した。久しぶりの長話となった。
「俺も長い間ずっと思い悩んだ。党路線の軌道修正とか、改革などの可能性を牢の中でも、 脱獄してからも考え続けた。結局、党幹部のいう『労働者と農民の国』はもっともっと遠いところにあるような 気がしてならない。
思うに、もともとレーニンたち今の政治指導者がやったのは革命ではなく、 クーデターによる政権奪取だった。敵失という言葉があるが、まさに敵失のおかげでクーデターが 成功しただけの話だ。
本来、革命とは古い社会が行き詰まって、新しい階級が力を得て、古い階級を押しのけて、 新しい社会を創ることだ。
ロシアでは新しい階級はまだ未発達で新しい社会を打ち立てるだけ成熟していなかった。
結局、政権を握った共産党は未熟な労働者や農民を強制と命令によって社会主義の道に 曳きずって行くしかなかったのだろう。
彼らは、ようやく農奴制から目を覚まそうとしていたロシアに −
ルネッサンスも、市民革命も経験したことがなく、民主主義の洗礼を受けなかったロシアに ー
民主主義の次の発展段階たる社会主義を無理やり当て嵌めようとした。 小学生に「大学入試問題を解け」というのと似ている。
子供らには何をどうしてよいのかわけが分からない。分からないまま、 共産主義の教科書通り資本家、地主、おまけに社会の維持発展に不可欠の事務職、技術者、自作農など 中間層まで人民の敵として吊るし上げてしまった。銃殺したり、シベリア送りにしてしまった。
革命後、暫くは革命前の遺産の食いつぶしが続いたが、そのあと経済が立ち行かなくなってしまった。
しかも政権を牛耳っているのは、保身と功名心、猜疑心だけが取り得のテロリストたちだ。 弱者救済という共産主義の根本思想から外れ、体制維持と組織防衛を絶対視した。
お蔭でロシアは今や強制と飢餓の国となってしまった。
俺はモスクワに行き、指導者たちに改革を訴えようと考えた。出来ない筈はないと思った。 おかしいことはおかしいと言い、正すべきは正すことに何の問題があろうかと。 しかしここに来て、お尋ね者の俺にそれは無理な話だということがよく分かった。
モスクワに辿り着くことさえ、まともな職を得ることさえ難しい。今、俺は他人の名前を使って船会社で 雑役夫をしている。思うに、ソ連は既に巨大な牢獄となっている。これと正面切って対決することは、今の俺にとって非現実的だ。しかし挫折はしない。
今考えていることは中央での対決が無理なら、遠隔地に拠点をつくって、これを徐々に広げて行くこと。 まずは小さな癌細胞作りからだ。それには仲間をつくって、足場を固めることだ。
俺の夢は我が故郷カルムイキアを軸にカスピ連邦をつくり、ソビエトとは全く異質の社会主義国家を創ることだ。 人が共に働き、分かち、助け合う国を創ることだ。
神の前では何人たりとも平等という言葉があるが、神の前でなくても人は平等でなくてはならない。 それこそが共産主義の根幹だと思う。
一方、革命は人々を解放するというが、開放された人々は当然、自由でなければならない。 自由が制限されるのは人々の平等を確保するという一点においてのみだ。
要は、言い古された言葉だが、人は自由で平等でなければならないということだ。
それこそが社会を守り、発展させる原動力だ。強制では国を守ることも、発展させることも出来ない」
「その通りだと思う。私も隊長とともに頑張りたい。反革命の汚名を着るもよし、 我が身を溝(どぶ)に捨てるもよし。是非にも一緒にやらせてほしい」
「君が同意してくれるなら、先ず君の騎馬隊からオルグしようと思う。 俺にはドンという愛馬がいるから、仕事の合間を見つけて、というより仕事を病欠にして、クビを覚悟で、 トビリシに出向く。先ず、信用出来そうな隊員の一人ずつに引き合わせてくれないか」
「隊長、ゾロキンを憶えておいでですか。あの赤ら顔のちっこい奴ですよ。 みんなが機械屋と呼んでいた、気のいいゾロキンですよ。彼はいま私の副長を勤めています。 いつも隊長の自慢話ばかりしていますよ。早速、ゾロキンをこちらに呼びましょう」
これを契機に、カラバクのオルグが活発化した。いつもレナを連れてトビリシに出掛けた。 ここで新しい組織が形成されていった。
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三十六

エリスタ刑務所の所長が更迭された。
新しい所長はモスクワの秘密警察チェーカーから派遣されてきたモロゾフという男だった。
彼は旧所長を職務怠慢のかどで告発し、その二日後に銃殺してしまった。 次に死刑囚で収容期間が長い順に8名を刑場に集め、死刑囚全員の目の前で刑を執行した。 一人に対して3名の銃殺隊員が同時に発砲する。
24の銃が火を吹いた。皆、胸を狙って撃つ。被刑者全員その場で崩れ落ちた。
生き残った死刑囚たちの顔は青ざめた。
もともと栄養失調で幽霊のような顔をした死刑囚たちの顔が青ざめると死人の顔となる。 更に数日後、死刑囚全員が広場に立たされた。
モロゾフはゆっくり歩を進め、一人一人の顔を見つめた。そのとき栄養不良のため足をふらつかせた者、 反抗的な目付きをした者を8人選び出した。その日の午後、刑は執行された。 モロゾフは秘密警察チェーカーにしばしば見うけられる「性格破綻者」なのだろう。 人が死の恐怖に顔を引き攣らせるさまを見て極上の快感を味わっているようだった。
受刑者の多くはグダイのような若者だったが、体力と気力を失っており、死ぬ前から死んだ顔をしていた。
だが、銃殺寸前には多くが取り乱し、泣き叫び、大抵は家族の名を呼んだ。
中でも「ママ」が最も多かった。
生き残った者は皆、恐怖に駆られ、目だけをぎらつかせていた。グダイは平静を努めた。
自らを半冬眠の状態にする。呼吸を整え、体の力を抜き、心を空にする。
これで体力の消耗を防いだ。いや、防ごうとした。
現実には体力の消耗は防ぎ切れず、その結果として精神さえも蝕まれていくのは仕方のないことだった。 どうしても心の平衡が保てなくなる。

グデルメスの郵便局長トタエフがニキタの常客の一人となった。
本人は、ニキタは身も心も自分のものになったと思っている。 確かにニキタはトタエフにそう思わせるそぶりをする。或る夜、トタエフがニキタを抱き締め、 「お前のためなら何でもする。お前が、女房を殺せと言えば今晩にでも殺してやる」
「奥さんは大事にしてあげて。私はこのままでいいのよ。ただ、一つお願いがあるの。 グルジアのバトミに兄夫婦がいてね。確かグルコ・アリの船会社にお世話になっている筈なの。 兄夫婦に手紙を出したい。勿論、差し障りのあることは絶対に書かない。 本当はあなたのことを自慢したいんだけど、それも書いてはだめでしょう。 お願い、今度あなたが来るときまでに手紙を書いておくから」
「いいよ。勿論、検閲があることは知っているね。ああ、それからグルコ・アリの船会社では恐らく 届かないと思う。当時の船会社は一まとめにされて、今はバトミ海運公社となっているはずだ。 それも今度来るときまでに調べておいてあげる.. 」
トタエフの指が動き、ニキタは喘ぎ声をあげた。

ニキタはトタエフを送り出してから一晩かかって手紙を書いた。
カラバクがバトミにいるかどうか不明だが、今のニキタにはこれにしか賭けるものがなかった。 「今、ロシアはどこも餓死者の山というから、きっとカラバクはモスクワに辿り着けない。 カルムイキアにも戻れない。他に行き場もないからきっとバトミにいるはずだ」と、 この手紙に一縷の望みをかけた。

バトミ海運公社気付:
同志カラバク・ウルドビッチ宛
拝啓、あれ以来長い時間が経ちました。お兄さんもバトミで社会主義建設に邁進されていると思います。 私達もこの地で微力ながら日夜努力をしています。 最近は天候も我々に味方してくれているようで全てが順調です。 昔、近くの川で一緒に魚釣りしたことがつい昨日のように思い出されます。 あれは鱸でしたね。(このような内容の文章が長々と続き)
お兄さん、お姉さんの子供を早く見たいものです。最後になりましたが、私にも嬉しいことがありました。 今、とてもとても幸せです。そのわけを話したくてしようがありませんが、でもそれはまだ秘密です。
あなたの最愛の妹、ニキタ・ウルドブナより
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